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所謂「新型うつ」とは、特に若い世代に多い類型なのではないかと最近取沙汰されているうつ病の概念だ。
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その特徴として、図のように「①他罰性」「②選択性」のような点を指摘されている。
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つまり、うつで休職中に旅行に行ってみたり、「自分は悪くない、悪いのは他人だ」などと主張したりするというのだ。
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まさに悪評嘖々、甚だ評判が悪い。
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このため「わがままだ」とか「甘えているだけだ」とか「怠け病だ」とかのレッテルを貼られているようだ。
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だがよく考えてみると、これもちょっとおかしい。
「他罰性」とは
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先ず「他罰性」についてだが、これは「新型うつ」患者が「自分は悪くない、悪いのは他人だ」と主張するのがけしからん、と言う指弾だ。
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だが、ちょっと待った。
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それも結局
「自分たちは悪くない。悪いのは『新型うつ』患者の方だ」
と言っているわけである。
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つまり「悪いのは他人なのだ」と言っているわけだ。
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結局その論理構造はどちらも同じなのである。
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指弾の方向性が鏡像のように左右反転しているだけである。
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従って、所謂「新型うつ」病の「他罰性」を指弾できる人は、「自分(たち)は正しい」という前提を、無条件に信じて疑わない人である。
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たとえ少しでも「相手には、未だ自分の理解していない何らかの事情があるのかもしれない」という考えが脳裡によぎる人なら、そのような指弾は口にしないことだろう。
「選択性」とは
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では「選択性」については、どうか。
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体験者ならお分かりのことと思うが、うつの身体症状が酷い時はこうだ。寝ても覚めても、目の前も頭の中も常にぼんやり霞んでいて気分が悪く、身体もぐったり、全く力が出ない。
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風呂にも入れず歯も磨けず、もちろん鬚も剃れないし(女性なら、これは「お化粧する気にもなれない」というところだろうか)、まともに食事も摂れない。
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とてもそんな気力など出ないのだ。昼夜を問わず昏々と眠り込んでしまうか、或いは突然に全く眠れなくなったりする。
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とても旅行どころなんかではない。
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だから旅行ができたということは、すごろく図⑧で書いた「何らかの自律的気力回復」の段階までに至ったということだ。
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つまり、すごろく廻りがちょっぴり前進できたということなのだから、うつからの回復にとっては寧ろ良いことである。
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旅行にせよ何にせよ、社会復帰の事前訓練として寧ろ評価したいところだ。
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そのような段階で、自分の好きなことに行動が向かうのは自然なことではないかと思う。
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だが、世間はそうは許してくれないらしい。
「少しでも気力が回復したのなら、自分の好きなことになんかに気力は使わず、とっとと仕事しに会社に出て来い」
という訳だ。
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つまり少しでも回復したのなら、その気力は先ず仕事で消費することを最優先しろということになる。
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まあそんなことが喜んで出来るのは「仕事が好き好き、何よりも大好き。たまらなく好き」という人だろうが、そりゃ療養中のうつ病患者にとっては無理と言うものだ。
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もしかしたら「新型うつは軽症のうつなのだ」と仰るのかもしれないるのかもしれないけれど、無理なものは無理だ。なぜか。
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たとえ症状が重くなかったとしても、回復した気力の使い途は真っ先に先ず仕事へ、と言う訳にはいかない。サラリーマンのうつ病患者の大半は、仕事が原因でうつになったんだろうから。
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また、たとえ仕事がうつの原因ではなかった場合だとしても、同じことだ。少々の気力が回復したからと言って復職するのでは、時期尚早なのだ。
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なぜなら、何がうつの原因だったとしても、いずれにしろすごろく図⑬で書いたように自分の病因をしっかり自己認識しなければならない。
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そうしてからでないと、せっかく復職しても結局再発するのがオチだからだ。
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多少気力が回復したからと言っても、それからきちんと復職するまでには一定の時間を要するのだ。
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いずれにしろ所謂「新型うつ」に関しては、周囲の視点からしか情報が聞こえてこない。だから指弾や非難の口調ばかりである。
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これは少々問題なのではないだろうか。
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本人の視点から見てどのような事情になっているのか。そちらも聞き取ってからでなければ、性急な判断はできないのではないだろうか。