6) 多文化間で共存する

 

在留外国人と日本

  • これまで多民族とか多文化とか述べてきた。
  • だが実はこれは、今の日本においても別段新奇な現象ではない。
  • 今や日本国内には二百万人以上の在留外国人がいるのだ(注)。
  • もしかしたら皆さんの職場にも、これら在留外国人出身の社員がいるかもしれない。

(注:法務省「平成26年末現在における在留外国人数について(確定値)」http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri04_00050.html)。

  • ちなみに図中右端で長円四角形の吹き出し「※在留外国人」内に示したのは、上記法務省統計における「国籍・地域」別の上位1位から6位までである。
  • 即ち順に「中国、韓国・朝鮮、フィリピン、ブラジル、ベトナム、米国」である。

(なおご承知の通り、日本国政府は所謂「北朝鮮」(朝鮮民主主義人民共和国)を国家承認していない。従って第2位の「韓国・朝鮮」という一括併記の中にある「朝鮮」とは、法務省の定義では所謂「北朝鮮」のことではない。しかし日本国以外には、南北双方を国家承認している政府も現実に存在している。従ってここでは、第2位は南北二つの「国旗」を合体することによって仮に表している。)

  • 特にこの中でも、上位1位や2位などを占める東アジア地域の出身者の場合はどうか。
  • 容貌容姿は日本人と殆ど同じだ。もし日本語が流暢であれば、全くと言っていいほど区別がつかないことだろう。

 

外国人と多文化共存

  • だが皆さんは彼らに対しても「分(ぶ)を弁えろ」とか「甘ったれるな」などと、叱責したり不満に思ったりするのだろうか。

  • いや、そんなことはあるまい。
  • 「ここでの意思決定の方法はこうなっている」とか「こういう場合には、このような行動を同僚社員は歓迎する」とか、ちゃんと説明することだろう。
  • 場合によっては別室に呼んで、あらたまって差し向かいで説明することもあるだろう。なぜか。

  • 「(外国人は)文化が違うから」と思っているからだ。
  • なるほど、それなら日本人として日本国内での多文化間での共存経験はあるし、それを許容していることになる。

 

 

外国人とワカスタン人

  • では、そのような多文化共存の態度は、ワカスタン人に対しては適用できないのだろうか。

  • ワカスタン人も、日本語の完璧な外国人と全く同じだ。
  • 意思疎通の手段としての日本語に問題は全くないし、おまけに容貌容姿も区別はつかない。

  • ただ単に行動や発想の文化だけが違うのだ。
  • それなら、先ほど述べたような外国人社員たちと同じことではないのだろうか。

外国人とワカスタン人

  • では、そのような多文化共存の態度は、ワカスタン人に対しては適用できないのだろうか。

  • ワカスタン人も、日本語の完璧な外国人と全く同じだ。
  • 意思疎通の手段としての日本語に問題は全くないし、おまけに容貌容姿も区別はつかない。

  • ただ単に行動や発想の文化だけが違うのだ。
  • それなら、先ほど述べたような外国人社員たちと同じことではないのだろうか。

  • 既に述べたように、ワカスタン人はムラスタン人とは行動や発想の異なる異文化人とは言え、それなりの美質と長所を持っている。

  • これを活かすのは簡単だ。
  • 上記の通り外国人社員に対するのと同じく、日本語の完璧な異文化人として接すればよい。
  • つまり日本人だろうと外国人だろうと、無差別同一の態度で接すればよいのだ。

 

「異文化を持つ日本人」を許容できるのか

  • さて上記の通り、国籍の如何を問わず異文化人に対しては無差別同一の態度で接すれば、これまでの話はメデタシメデタシで解決するのだが、そうはいかない。
  • 「外国人は文化が異なるから異文化人として接しろ、というのは理解できる。だがワカスタン人は日本人だ。同じ日本人なのに異文化を持っているとは、許せん。」
    と仰る方がいるだろうからだ。

  • その考え方に従えばこういう対応になる。
  • つまり「外国人に対しては異文化人として接する。
  • だがワカスタン人に対しては、ムラスタン人と同じ文化への同調を強制する」という対応だ。
  • 同じ社員であっても外国人なのか日本人なのか、その国籍によって対応を変えるわけだ。
  • 「無差別同一対応」どころではない。謂わば国籍による一種の「逆差別」対応と言えよう。

  • これは、既に述べた先入観を捨てきれていないことの表れである。
  • 即ち「日本人は単一同一の『ムラ社会』文化の持ち主であり、その文化だけが全ての価値判断の基準になる」と言う先入観だ。
  • もちろんこれまた何度も述べて来た通り、この先入観は現実とは乖離している。だいたい「十人十色」という言葉からして日本語なのだから。

  • 問題となるのは、こんな「逆差別」に今どき何の意味があるのか、という点である。