5)それはあなたの隣人である

既にある多文化社会

  • ワカスタン人とムラスタン人が混在共存している時点で、既にそこは「ムラ社会」ではない。多文化社会なのだ。
  • もちろん多集団間で共存するためのルールは必要だ。
  • 多文化社会では、お互いに共存するためのルールを定め、それを遵守することが共通の義務となる。

 

「身内のルール」は「共通のルール」ではない

  • だが、それぞれの個別社会の「身内のルール」は、共通ルールとはならない。
    だからそれは「ムラ社会」の「掟」や「しきたり」を通用させることなんかではない。
  • 「ムラ社会」の「掟」や「しきたり」は、一方の個別社会の「身内のルール」でしかないからだ。

  • 共通ルールとは、どちらか一方の個別社会の「身内のルール」をそのまま通用させることではないのだ。
    共存つまり他集団の尊重とは、相互不強制のことなのだ。

  • 企業で言えばこうだ。
  • 会社では何より「仕事」が共通ルールになる。指示された内容と納期と予算に従って仕事を仕上げていれば、良い「仕事人」なのだ。
  • それ以外とやかく言うのは、個別社会の「身内のルール」の問題に過ぎない。共通ルールの問題では無いのだ。

 

「『ムラ社会』以外に組織はあり得ない」のか

  • 「日本人はムラ社会以外の組織は作れないのだ。それが日本の文化であり伝統なのだ」
    という考え方はあり得るのか。
  • それは徳島県海部町などの例で既に述べた通りだ。

  • 先にも書いたように「日本の社会イコール『ムラ社会』」ではない。
    同様に「組織イコール『ムラ社会』」ではないし、「会社イコール『ムラ社会』」でもないのだ。

 

勝手な「格上げ」

  • ここで「組織だから」「会社だから」「日本の社会だから」と言うのだろうか。
    それとも「日本の組織では『協調性』が重要なんだから、排除されるのは仕方がない」などと言うのだろうか。
  • だがその説明は、「ムラ社会」の「掟」を自分たちで勝手に共通ルールに格上げしているだけのことなのだ。

  • 自分たち身内のルールは、自分たちだけで守れば済む話だ。
    自分たち「ムラ社会」のルールにそぐわないからと言って、多集団やその個人に対して「出ていけ」とか「他所へ行け」とか「他の職業を選べ」などと負担を強いるのは、余計なお世話だ。いわんやバッジやワッペンの着用なんて必要ない。

 

あなたの目の前にある多文化社会

  • 異文化人は、職場の部下或いは同僚として、自分の目の前で机を並べているのだ。
    その隣人と共存できなければ、異文化との共存とは言えない。
  • 既に書いた通り、日本は多文化社会なのだ。会社は「ムラ社会」ではないのだ。

必要なことは何か

  • だがその共存に必要なことは、たった一つしかない。
  • 多文化との共存の為には、「ムラ社会」側が自分たちの認識をこんなふうに変えれば済む話なのだ。
    「世の中は十人十色だ。中には考え方や価値観は全然違う人もいるのかもしれない」と。

  • 自分の頭の中身は自分で変えればよいのだ。何も他人の手助けも負担も要らない話のはずである。