2)「ムラ社会」のメカニズム(2)「矛盾命令」

「全員で守る」から理想社会

  • さて、前記で「ムラ社会」の「掟」について、
    「『自明の理』だから口にしないのではない。口にしないから『自明の理』になるのだ」
    と書いた。
  • 同じ論理が「ムラ社会」そのものについても言えることだろう。
    前にも書いた通り、ムラスタン人が理想社会とし、「同調圧力」によって維持し実現を図っているのが「ムラ社会」である。
  • だがここで「掟」と同じ論理を適用すれば、こうだ。
    「『ムラ社会』は理想の社会だから守るのではない。守るから理想社会になるのだ」。

  • となると、どういうことになるのか。
  • 当然ながら「ムラ社会」を守ることが至上課題となる。その他の問題は二の次だ。
  • 「場の『和』」「面子」「立場」「序列」「顔(かお)」「身の程(分=ぶ)をわきまえること」や、「思いやり」「察し」「気配り」「気遣い」「場の『空気』を読む」など、「内向きの」「身内の論理」を守ることが全員の「掟」となる訳だ。

常時内包する現実破綻

  • 従って現実適応の優先順位はあくまでその次だ。現実適応が可能なのは、「ムラ社会」の「掟」に反しない範囲に限られる。
  • 現実適応と「ムラ社会」の「掟」が相反する場合は、「ムラ社会」の「掟」の方が優先する。
    その結果、現実適応にしばしば失敗し、「ムラ社会」は現実破綻する。

  • そもそも「ムラ社会」の前提となっている「同質性」の観念からして、現実遊離である。
    「人は様々、十人十色」という人間の本質的な多様性を無視しているからだ。

  • 出発点からして現実遊離なのだから、「ムラ社会」を維持していけばどうなるのか。
    その現実遊離は時間の経過とともに乖離が大きくなっていく。

  • 従って「ムラ社会」は現実破綻の危険を常時内包している社会なのだ。

「ダブルバインド」の登場

  • もちろん「ムラ社会」としても、現実遊離の乖離が増大していくのを座視している訳ではない。
    特に企業組織の場合は、経済合理性に合致している範囲内でしか存続を許されない。
    だから企業組織を「ムラ社会」として維持してしまった場合は、この問題は無視できない。

  • ここで登場するのが「ダブルバインド」である。
  • これは「ムラ社会」の「掟」は維持したまま、「ムラ社会」の面々各個人に現実適応を命じることである。

(なお「ダブルバインド」とは文字通りに訳せば「二重拘束」であるが、「矛盾命令」としたのはここでの著者の試訳である。この点お断りしておく)

  • ここで「ムラ社会」のトップが現実適応の方法と詳細な内容を考え、「ムラ社会」の面々各個人に対して「このとおりにやれ」と具体的に指示するのなら問題は無い。
  • 上意下達で絶対服従するのが「ムラ社会」なのだから、各個人は忠実に実行する。後で再説するが、この場合トップの下す指示は合理的である。
  • 従って組織全体としては、結果的に現実適応することになるのだ。

 

どちらにしても叱られる

  • だがこの「ダブルバインド」はどうなのか。
  • その問題点は、現実適応の方法と内容は具体的には示さずに、単に課題を命令するだけである点だ。次の四コマのマンガは、そのイメージを描いたものだ。

  • 「ムラ社会」の面々各個人にとっては、この「ダブルバインド」は何を意味するのか。
  • 「ムラ社会」はそのまま維持しなければならないのだから、「掟」に反することは許されない。
    「ムラ社会」を守ることが至上課題なのだから、現実適応の優先順位はあくまでその次だ。

  • だが一方で「ダブルバインド」は現実適応を命じてくる。
  • いったいどちらが優先するのだろうか。どちらに従っても叱られることになる。

  • これが「ダブルバインド」が「矛盾命令」たる所以である。一種の二重基準(ダブルスタンダード)の強制と言えよう。

「何でも言え」たら面子丸潰れ 

  •  例えばこのマンガに描いた、「何でも言える雰囲気」とか「風通しの良い組織」とか言ったって、「ムラ社会」にとってはそうそう簡単な話しではない。
    もし本当に「忌憚なく意見を言ってくれ」などと言ったらどうなるのか。

  • 顧客からのクレームは言うまでもなく、社内制度の未整備や不足や矛盾や、見込み違いやら手戻りやら遅延やら、問題点が一挙に噴出してくることになるだろう。トップをはじめ責任者の面々にとっては、まるで面子の丸潰れである。

  • もちろんこれは「ムラ社会」の「掟」からしたらとんでもない行為だ。
    まず「下」の分際で「上」に向かって直接発言すること自体が「序列」を無視した行為である。
    おまけにその内容で「上」の方々の面子を潰すなどとは、以ての外の「掟」破りである。

 

 

「悪い報せの使者を罰する」 

  • だがそこで「何でも言える雰囲気」や「風通しの良い組織」を本当に目指すなら、トップも責任者も、絶対に叱ったり怒ったりしてはいけない。
  • どんな酷評でも指摘でも、腹の虫を抑えて
    「よく言ってくれた。率直な発言を有難う。おかげで現場の実情がよくわかったよ」
    と笑顔を向けなければならない。
    況やその後の人事評価や配置転換に影響などはさせてはならない。

  • 「悪い報せの使者を罰する」ようなことは、絶対の禁物なのだ。

  • また問題点が一挙に噴出したということは、それまでの社内情報伝達制度に何らかの機能不全があったということだ。
    それを改善するための措置も取らねばならない。

  • 例えばトップ直通の目安箱制度や、職制を何階層か隔てた上下が定期的に面談する直接面談制度などだ。
    もちろんこれらは、トップと末端の間だけではなく社内組織の各階層ごとに行った方がいいだろう。
  • もしかしたら単なる鬱憤晴らしみたいな内容も来るのかもしれないが、それだって何らかの問題点が背景にあるのだ。
    配属ローテーションの制度が問題なのか、職務割り当ての基準なのか、モチベーションを付与する制度に問題があるのか。


 

「ムラ社会」と「ダブルバインド」

  • また腹の虫を抑えるのはトップだけではない。
    社内組織各階層の責任者も皆同じことだ。

  • このことは、トップ自身が各責任者に徹底しなければならない。
    「職場で問題点を指摘しようとしたら叱られた」とか「差し止められた」などという噂が少しでも耳に入ったら、トップ自身がすぐにその職場の責任者を呼んで注意しなければならない。

  • このように、「何でも言える雰囲気」や「風通しの良い組織」の実現一つとっても、このような具体的な方法と内容を考えた上で実施しなければならないのだ。それ無しでの「ムラ社会」のままでは、どんな現実適応を命じたところで、単なる「ダブルバインド」にしかならないのだ。

「ムラ社会」の参加コスト

  • さてこのような「ムラ社会」の現実遊離を、各個人の面々から見たらどうなるのだろうか。

  • 先ずもってその現実遊離の一番目が、「同質性」の観念だ。
  • 因みに「ムラ社会」に属する面々、つまりムラスタン人の各個人だってやっぱり「人は様々、十人十色」なのだ。趣味・嗜好・性格その他もろもろ、何もかも他人と同じわけではない。

  • つまりムラスタン人個人が「ムラ社会」に属している理由は、単に「他の人に自分の行動を合わせます」という考え方の持ち主だからなのだ。
    もちろんここで「他の人」というのは「多数派」ということだ。
  • ということは、「同調圧力」は肯定するものの、「同質性」の観念そのままに、自分の頭の中身まですっかり他人と同じに塗り替えたわけではないのである。
    「人は様々、十人十色」なのだから、そんな塗り替えはもともと不可能なのだ。

  • 「ムラ社会」に属している個人の多くは、実はこのような人たちなのだろう。