3)それでも「ムラ社会」に住みたい人へ

「鎖国は既に死んでいる」

  • だがここで確実に言えることはある。
    たとえ過去の日本の「ムラ社会」が「鎖国」目的に形成された社会であったとしても、その前提は今やとっくに失われているということだ。
  • ご承知の通り、幕末明治以降日本の国是は「開国和親」だ。
    現に日本は今や195か国の外国を国家承認し、139か国には実際に大使館を置き、もちろん自国でも国連にも加盟している(注)。

(注:外務省「世界と日本のデータを見る」http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/world.html)

  • また輸出入を含めた国際貿易は、日本経済の重要な基礎である。でなければ、為替相場の変動に一喜一憂することになんて、ならない。
  • 好むと好まざるにかかわらず、一定の立場から国外とその社会に関わっていかなければならない状況にある訳だ。
    「鎖国」なんて最早不可能なのだ。

「耐えるのが美徳だ」

  • だが、ここでもしみなさんが「ムラ社会」からの脱出を願っているのだとしても、その理由には注意が必要だ。
  • 「『ムラ社会』は、その維持の為に自己犠牲と負担を強いられるから」という理由を指摘しても、ダメだからである。
  • その理由では、こんなツッコミを受けてしまうからだ。

  • 例えば下記の通りだ。

➢ 何を言っているんだ。「自己犠牲」とか言うが、「社会の為」なら「堪え難きを堪え、忍び難きを忍ぶ」のが日本人の美徳だろうが。
➢ あなたは社会の義務から逃げているだけなのよ。あなたがそれに耐えられないからと言って、それから逃げるのは卑怯よ。それじゃ単なる『甘ったれ』にしかならないわ。

 

などというツッコミである。

  • もちろんここでいう「日本人」とは「ムラ社会人」のことであり、「社会」とは「ムラ社会」のことである。
    そして「社会の義務」とは「ムラ社会」からの同調圧力に対して個人が自己犠牲を払って応じる負担のことである。

  • だが既に述べた通り、「日本人」とはそのままイコール「ムラ社会人」のことではない。
    また仮説に従えば、同調圧力に応じて同質社会を構成しなければならない理由は、鎖国だ。

  • しかし前記の通り現代社会では、鎖国なんて最早不可能である。
    今後も「鎖国」を続けたところで、社会の末路としては現実破綻が待っているだけである。
  • 昔「お前は既に死んでいる」という台詞のマンガ(注)があったが、それに倣って言えば、前記の通り「『鎖国』は既に死んでいる」のだ(注:「北斗の拳」=原作・武論尊、漫画・原哲夫=をご参照)

 

 

それでも「ムラ社会」に住みたい人へ

  • もちろん、どんな社会を作り上げてどんな社会に住みたいのかは、個人の自由だ。
    既に述べた通り「人はそれぞれ、十人十色」なのだから、それでもなお「ムラ社会」に住みたいという人もいて当然だ。
  • 一方で「ムラ社会」から脱出を図るのも、個人の自由である。

  • だから「ムラ社会」からの脱出を図るときでも、誰にも何も言わなくても構わない。黙って自分の思う通りにすればよい。
  • だがもしワカスタン人として何か言うとなれば、こんな内容になるだろう。
    「どんな社会に住みたいのかは、個人の自由です。ですから『ムラ社会』に住みたいと仰るのなら、どうぞどうぞ、ご自由に。
    今後も『鎖国』を続けたいのなら、そして今後も『鎖国』が可能だともしお考えなら、『ムラ社会』も結構でしょう。
    ただし私は御一緒できません。『ムラ社会』を作ってその中に住むのは、私以外の皆さんがた、ご自分たちだけでお願いします。
    私はお断りしますので、悪しからず失礼します」と。

  • なお、ここで言う「鎖国」とは、「身内」だけの「ムラ社会」を作って周囲からの影響を遮断しつつ、自分たちだけの現実遊離の「掟」や「しきたり」などの「身内の論理」を固守する姿勢のことだ。
  • 従ってその「ムラ社会」の範囲は、もちろん国家や国民などだけとは限らない。職場、組織、企業、地域社会、そして時には(大学などを含む)学校や教室、家族や親族などの場合もあることだろう。

  • おまけに、この「ムラ社会」は現実破綻の危険を常時内包している社会だ。
  • だがこの「ムラ社会」は、その危険性の矛盾を個人に負担転嫁する。おまけに、挙句には定期的に大規模な破綻を来す。既に述べてきた通りだ。
  • ここでもし「ムラ社会」からの脱出をお考えの方であっても、前記のようなツッコミに対して口惜しい思いをなさっている方もいらっしゃるだろう。
    「そんなツッコミを言われたくない」とか「そんなツッコミは癪に触ってたまらん」などと。
  • その場合は、これまで述べた内容をご参考になさっては如何だろうか。

  • もっとも、もし参考になさったとしても、その内容を誰かに公言したり明言したりする必要は、もちろんない。
    自分自身の内心で、独り黙って納得していればよいことだ。
    ここでは、ただそれがワカスタン人の皆さんの腹の虫を抑えるよすがとなれば、幸いである。