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ここまでお読みになって、突飛な思いを感じた方もいらっしゃることだろう。
「『渡来人』だの『鎖国』だの『古代ギリシャ』だの、こんな歴史や地理の話が一体うつ病とどのような関係があるのか」と。
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既に見たように、「ムラ社会」はその内部に幾多の自家撞着や不合理を含み、とても社会の選択肢として唯一とも最善ともいえない。
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だがそれらの矛盾点をいくら指摘しても「ムラ社会」は動じない。恬然と、若しくは漠然とこう信じて疑わない。
「日本人なら『ムラ社会』が当然です。『ムラ社会』は『正しい』社会なのです」と。
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まことにしぶとく、且つしつこい社会である。
このしぶとさにはワケがある
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だがこのしぶとさとしつこさには、理由(わけ)があるのだ。その理由にまで遡らなければ、「ムラ社会」のこのしぶとさとしつこさは理解できない。
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その理由の説明として述べたのが、「ムラ社会の起源は鎖国」説である。
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つまり「ムラ社会」の根底には「恐怖からの逃走」があるのだ。
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それは
「外来勢力によって、自分たちの社会が崩壊若しくは撃滅されてしまうかもしれない」
という根源的な「恐怖」だ。
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その「恐怖」から逃れるために発明されたのが、「ムラ社会」という仕組みである。
勿論この仕組みは最善でも唯一でもない。
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だがその背景に「恐怖感」があるだけに、この「ムラ社会」に対する固執は意識的にせよ無意識的にせよ、尋常なものではない。
仮説としての提示
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もちろんこれまで述べて来た内容は単なる仮説だ。過去の集団的体験が、その社会の性格を果たしてどのように形成し且つ継承させるのか。これを集合的無意識というのか、はたまた何と呼ぶのかは知らない。因みにここでは岸田秀氏の「集団の歴史をあたかも個人の歴史のごとく扱うことができる」という考え方を参考にしている(岸田秀「ものぐさ精神分析」p.59青土社1977年。同書「歴史について」の部分や「歴史を精神分析する」中公文庫2007年などもご参照)。だが、いずれにせよ諸説あることだろうから、ここではこれ以上立ち入らない。
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だがワカスタン人の皆さんは、この「ムラ社会」のしぶとさとしつこさには、恐らく辟易していることだろう。
その皆さんが、しぶとさとしつこさの理由を考える手がかりとして、仮説の提示を試みた訳である。
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ところで既に書いた通り、ワカスタン人の社会と「ムラ社会」即ちムラスタン人の社会とは別物だ。
ここで「偶然性の原理」だの「外圧の原理」だのと書いたからと言って、それは全て「ムラ社会」に関することだ。
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「ムラ社会」即ちムラスタン人の社会は、いくら多数派だとは言っても日本社会そのものではない。
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だからここで「偶然性の原理」だの「外圧の原理」だのという話を読んで、「一体これから『日本』はどうなるんでしょう」などとワカスタン人が心配することは無い。
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そこで心配している「日本」とは一体どの社会のことなのか。「ムラ社会」のことではないのか。
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それならワカスタン人でありながら、なぜ「ムラ社会」のことが心配になるのか。
それは「日本の社会は即ち『ムラ社会』なのだ」というムラスタン人の前提を、自分の思考の中に無意識に引き込んでしまっているからなのだ。
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もちろん「ムラ社会」即ちムラスタン人の社会の運命は、ムラスタン人の皆さんご自身で決めて戴かなくてはならない。
「偶然性の原理」頼みを続けるのか、再び「外圧の原理」によって突如大転換するのか、はたまた第三の道を開拓するのか。
ブラックなシナリオ
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だがもし「ムラ社会」が再び繁栄を取り戻したとしても、ここでワカスタン人としては手放しに喜ぶわけにはいかない。
「喉元過ぎれば」ではないが
「ムラ社会」の自信回復の結果として「日本の社会は即ち『ムラ社会』なのだ」
という先入観の方にもすっかり自信回復されてしまっては、困るからだ。
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従って、たとえ今後もし日本に景気の一陽来復があったとしても、その恵みが自動的にワカスタン人にまで及ぶとは限らない。
「ムラ社会」の再繁栄の傍らで、かえってワカスタン人が一層爪弾き者扱いされて、ワカスタン人にとっての雇用の余地が狭くなる可能性だって、無いとは言えない。
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今だって、社運隆盛の傍らで社員が悲鳴を上げている「ブラック企業」なる存在があるのだ。
それを考えると、「ムラ社会」の繁栄回復はワカスタン人にとってはかえって逆風になるというシナリオだって、有り得ないとは言い切れない。
ワカスタン人にとっての優先課題とは
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もちろんワカスタン人としては、もしムラスタン人に「スポンサーシップ」を発揮していただけるのなら、大いに貢献するのには吝かではないはずだ。
そうなればワカスタン人とムラスタン人の双方にとって、一挙両得の成果があげられることだろう。
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だが「スポンサーシップ」を発揮するのかどうかは、もちろんムラスタン人ご自身次第だ。
それをワカスタン人の方から、あれこれ差し出がましく指図するわけにはいかない。
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そこでもしムラスタン人に「スポンサーシップ」を発揮していただけないのなら、どうなるのか。
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ワカスタン人としては「ムラ社会」からの「同調圧力」は丁重にお断りしなければならない。
と同時に、「ムラ社会」の現実破綻の後始末も、これまた丁重にお断りせねばならない。
自分を心配するのが先
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ワカスタン人にとっての喫緊の課題とは何か。それは、こうだ。
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ムラスタン人が当面ワカスタン人に対してどのような態度を取り続けるのか、そしてワカスタン人としては当面その「ムラ社会」に対してどのように対処していくのか。
ワカスタン人にとっては、こちらの方が優先する課題なのだ。
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ワカスタン人としては、その優先課題に対して個人個人が自分なりに見通しを立てねばならない。
ワカスタン人が「ムラ社会」の心配をするのは、それからの話しなのだ。