「現金(カネ)を稼ぐ」のグラフ化
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この検討に当たってモデル化したのが上図のグラフである。
分かり易くするために、グラフは単純化してある。働けば働くほど現金収入の金額も増えるという単純化である。
時給単価の固定された、パートかアルバイトのような形態を想像して戴ければよい。
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また同様に分かり易くするため、ここでは扶養家族のいない単身生活の独身者の場合から始める。
それ以外の場合については後程順次述べる。
働く必要性は物欲次第
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さてこのモデルに従えば、目的とする現金収入の水準は本人の物欲と正比例の関係にある。同様に、目的とする現金収入と働く必要性は正比例の関係にある。
つまり欲するカネの金額が多ければ、それだけ余分に働かなければならない。必要な金額が多ければ、その分だけ働く必要性も増える。つまりそれだけ余分に働かなければならない。
従って、働く必要性は本人の物欲次第である。
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因みに物欲はさしあたりwantsの略でwとし、現金収入はrevenueの略でrとする。労働時間はhourでhとしよう。
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さて上図Aの場合物欲の量はw1であるため、現金収入はr1の金額が必要である。上図の通りだ。
そのためには図の通りh1の労働時間を要する。Bではそれぞれw2とr2、そしてh2である。
従って物欲をw1からw2に減らせば、必要な労働時間はh1からh2に減る。
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ここでもし本人の物欲がゼロになれば、どうなるのか。
必要な現金収入はゼロ、従って必要時間もゼロである。つまり働く必要性は消滅する。グラフの原点部分Cでの状態である。
即ち、無欲、無所有で満足する境地に至れば、働く必要性はなくなる。自分と社会の価値観がどうであれ「メシが食える」のだ。
心頭滅却しても…
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だが前述の通り「物欲をなくせば働く必要は無くなる」と言いたいところだが、実はそうではない。皆さんもお分かりの通りだ。
もし本当にそうなれば、だれでも即身成仏だ。物欲を滅却した人は全員めでたく補陀落世界に往生できるのだが、しかしその代わり生きてはいられない。なぜか。
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当然だ。生物である以上、生命を維持するためには営養源が必要だ。
おまけに我々人間は独立営養ではなく従属営養の生物だ。だから外部から営養源の獲得を必要とする。霞を食っていては、生きていられない。
おまけにその営養源とて、現代日本は資本主義社会なのだから現金と引き換えでなければ入手できない。
「最小限度」の認識
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この目的に必要となるのが最小限度の現金収入の獲得と、その対価として提供すべき最小限度の労働である。
この意味での「最小限度」の認識が、「それじゃメシが食えないよ」という言葉の第二の意味である。
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以下、この「最小限度」について検討する。